「新宿・音楽スタジオ 僕らがバンドを組む理由」 ドキュメント72時間

「新宿・音楽スタジオ 僕らがバンドを組む理由」 ドキュメント72時間
ドキュメント72時間

新宿の24時間営業の音楽スタジオでの72時間。

高校生のころにはバンドを組んでいたものの、最高到達点が文化祭でその後ギターに限界を感じ敢え無く解散

そんな自分にとっては、音楽をプレイできる方々尊敬のまなざし。

そんな人々が集まる音楽スタジオ、興味津々です。

集まってくる人々は様々、アマチュアからプロまで。

オープニングに出てコメントしていたバイキングの小峠にはびっくり。

しかしそのあとには放送ナシって、なんて日だ!

本編に入っても、本当にいろいろな人がやってくる。

前半一番のインパクトはやはりSMバーの経営者の縄師でありボーカリスト。作詞もこなす。

曰く「僕が書く歌詞はすべてSMです」名言です。

ご本人さんが、その性癖で悩んでた頃に大阪のSMバーでの出会いが世界を変えたそうです。

彼のやってることは素晴らしい、マスコミの前でマイノリティの権利ばっかり主張する活動家よりも、自分のアイデンテティに悩んでる人を救う力はこういうアンダーグランドだったりするのだ。

翌日は、私と同世代の方々大学サークル出身の同窓会的なスタジオの使い方。これはこれでいいのだろう。カラオケボックスよりは健全な気がする。

とある若者はテレビカメラのまで24まで童貞だったことをサラッと話し、ギターを持った理由とする。我々世代には考えられない若者、これが意外とロックなのかもしれません。

元いや現役のヤクルトおばさんをヴォーカルに据えるバンド、このバンドもみなばらばらの仕事などで出会ったバンド。

最後のバンド練習で、別れを惜しむメンバー達。好きなバンドつながりでできたコピーバンド。

少々青臭いがまさに青春、少し涙ぐむおじさんに、うかつにもぐっと来てしまった。

このバンドのおわかれシーンでテーマソング投入。

テーマソング後は、今日初めて会うドラマー(男性)に緊張しつつも練習後は飲みに行こう!と言うキーボーディスト(女性)。

正に出会いと別れのエンディング。

バンドってやっぱりそういうものなんだな。

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Kiyo

・九州の盆地大分県日田市でstepscolorを営む。 ・1967年生れ。地元日田高校から埼玉県城西大学へ ・卒業後福岡にて宝石屋、レオタード屋さんを経て2003年帰郷 ・2010年より野外音楽イベント「ボンチサウンドフェノメノン」を企画 ・2013年から地元情報誌「ヒタスタイル」にてコラムを連載 ・2014年から音楽サイトにて記事を執筆 ・2017年「ステップスカラー」オープン ・2019年 地元テレビ局KCVにて「噂のマスターに会いに行く」コーナー担当日田のうまい飲み屋を紹介しています。