ヒタスタイルコラム再録 48 2018年2月号掲載 闘将 星野仙一

星野仙一

ヒタスタイルコラム再録 48 2018年2月号掲載 闘将 星野仙一

星野仙一

 

私、今年(2018年)1月でめでたく51歳になりました、人生折り返し。

 

この年代になってくると子供の頃胸躍らせて見てたヒーロー達の訃報が増えてきます。

 

忌野清志郎、プリンス、マイケル、ボウイ、ミュージシャンはしかし早くに行ってしまうのも伝説化するという意味ではアリなのかもしれません。

 

馬場に鶴田、馬之助、阿修羅、ブロディ、モハメドアリに北の湖、千代の富士。

 

格闘家も早いイメージがある猪木はしぶとい。

 

アスリートは現役時代のイメージがあるので急に亡くなってしまった感がひとしおです。

 

そんな中、新年早々飛び込んできた星野仙一さんの訃報。

 

ドラゴンズファンでも、タイガースファンでもゴールデンイーグルスファンでもありませんが思いの外ショックな自分がいました。

 

萌える…いや燃える男!

 

現役時代は体の横に太い縦線が入った中日のユニフォームでジャイアンツ相手に闘志丸出しのピッチングをしてました。

 

ぶっちゃけどの球種が凄いとかではなく気持ちでグイグイ押すタイプ。

 

あの有名な珍プレショート宇野のオデコキャッチの時のピッチャーでもあり、マウンドにグラブを叩きつける映像も有名。

 

しかし宇野は後日エラーのことは一言も言われなかったそうです。

 

これまた珍プレー集でよくある乱闘特集では監督になっても熱くデッドボールを巡って巨人軍の王監督へ拳を突き上げるポーズが有名。

 

その中日監督時代は青年監督で正に闘将、ベンチのものを蹴散らしたり、吠えたり、先の王監督との乱闘劇もこの時代のお話。

 

その後タイガースを優勝させ、東北楽天ゴールデンイーグルスでの復興ののろしを上げる優勝は記憶に新しい。

 

その頃はベンチで笑顔を見せるなど闘将と言うよりマー君をはじめ若手を見守るような監督に変貌していたように思う。

 

謹んでご冥福をお祈りいたします

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Kiyo

・九州の盆地大分県日田市でダイニングバーSTEPSを営む。 ・1967年生れ。地元日田高校から埼玉県城西大学へ、卒業後福岡にて宝石屋、レオタード屋さんを経て2003年帰郷。 ・STEPSを営む傍、2010年より野外音楽イベント「ボンチサウンドフェノメノン」を企画運営。 ・2013年から地元情報誌「ヒタスタイル」にてコラムを連載中。 ・2014年から音楽サイトにて記事を執筆。 ・2017年「ステップスカラー」オープン