ヒタスタイルコラム再録 7 TAMIYA

ヒタスタイルコラム再録 7 TAMIYA
TAMIYA

ヒタスタイルコラム再録7 TAMIYA 2014年9月号

白抜きの星を二つ並べ背景は左が赤で右が青、圧倒的にこのマークだった。 小学生の頃、ヤマニ文具店の片隅にあったプラモデルコーナーはまさに宝の山。
しかし、そこは基本文房具屋さん。ノート、鉛筆、消しゴム、ソロバン、などがメイン。その中をかき分けプラモデルコーナーへと向かった。
最初はスーパーカーを作るだけで満足してたのが、高学年になってくると、車に色をつけたり(タミヤカラー)、戦争ものにはしりジオラマ一歩手前までの完成度を誇る輩も現れる。
そんなプラモデル少年の憧れブランドNo.1 人気ブランドNo.1 市場独占率No.1(多分) の 三冠王だったのが、赤と青に囲まれた星マークのTAMIYAだった。
まだ、洋服はお母さんに買って来たもらったのを着てても、TAMIYAは自分で選ぶ。
あのマークがついたものを選ぶ。ブランドに目覚めた最初がTAMIYAだったかもしれない。タミヤカラーの色付きは最高だったし、プラモデルもプラスチックがしっかりしてたし、デティールも繊細だった。ブランドものは高価だが作りはしっかりしてるという事をTAMIYAから教えてもらった気がする。
100円で大抵のモノが揃う今 、しっかりしたブランドがしっかりとこしらえたモノを少々高価でも買える時代がまた来てもいいと思う。

不器用だけど流行りには乗った昭和の頃  コラム後記

プラモデルは実は苦手でした。不器用で図画工作も通知表2か3。それでもカッコいいスーパーカーやドイツ軍やメッサーシュミットは作りたい欲求はあった。でもいかんせん不器用。

それを通り越しても完成形は欲しかったが、努力なしではあの完成形を手に入れられないことも学んだ。

たまたま同級生で趣味が高じてジオラマ作成で食べて行ってる奴もいるがすごく尊敬する。老眼入ってきて大変だろうけど、私のできないことを仕事としてやってる事は尊敬に値する。

久しぶりにつくうてみようかな〜プラモデル。

こういうシリーズも楽しい。

 

ポルシェターボもはずせん。。。

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Kiyo

・九州の盆地大分県日田市でstepscolorを営む。 ・1967年生れ。地元日田高校から埼玉県城西大学へ ・卒業後福岡にて宝石屋、レオタード屋さんを経て2003年帰郷 ・2010年より野外音楽イベント「ボンチサウンドフェノメノン」を企画 ・2013年から地元情報誌「ヒタスタイル」にてコラムを連載 ・2014年から音楽サイトにて記事を執筆 ・2017年「ステップスカラー」オープン ・2019年 地元テレビ局KCVにて「噂のマスターに会いに行く」コーナー担当日田のうまい飲み屋を紹介しています。