ヒタスタイルコラム ワールドカップ予選 2014年6月号
ワールドカップに日本が初めて出場を決めた瞬間の事は鮮明に覚えてるが、今回のワールドカップの出場を決めた瞬間の事は正直よく覚えてない。世界最速だったか、それは前回のことだったのか。
僕たち昭和40年代生まれ以前の者にとってはワールドカップに日本が出るなんて夢のまた夢。TVはNHKで録画中継、 日本代表も出てない代わりに、タレントやアイドルも出てない、これは健全。
そしていよいよ日本初出場が決まるかという夜、当時福岡でサラリーマンの僕は東京からのお客様と初顔合わせ会食、午後6時から。試合開始午後10時。サクッとこなせばなんとかなる、しかし大切なお客様、絶対に負けられない戦いがここにもあった。
お客様のリクエストで二次会に屋台に入ったのが9時頃、左サイドの後輩が「先輩そろそろ。。」的なパスをアイコンタクトで送ってくる。何度かスルーした後、意を決し、いかにも今気づいた感じで時計を見ながら「そういえば今日でしたよね、何時からでしたっけ、サッカー?」相手も大人「あ~そういえば」と言いつつも全体に広がる安堵の空気、そして程なくお開きに。
その時の屋台や、街、帰りの地下鉄、西鉄バス内の、そわそわ、わくわくした感じ、その後ホークスの初優勝時でも福岡が経験する街全体が浮かれてる感じをよく覚えてる。
この6月、この国が、この街が、あのわくわく感を共有できるような戦いを!
ワールドカップに出れないのが普通のころ コラム後記
ワールドカップに出るのは夢のまた夢。昭和42年生まれの自分が生きてる間に日本がワールドカップ本選で戦ってる姿を見にすることができるのだろうか?と本気で思ってた。当時そういったアンケートをしたら「見れない」と答える方の方が過半数を取ったともう。
今ではにわかに信じられないと思われるかもしれないが本当にそうだった。特に木村和司のフリーキック頼りのころは一瞬盛り上がって、韓国にホーム&アウエーで勝てば出場というところまでこぎつけたが、ホームで負けた後は既に諦めモード。アウエーの韓国戦のTV中継もなかったように記憶している。
そしてカズが帰国してからの代表ブームからドーハの悲劇を経てのジョホールバルの歓喜まで、本当に盛り上がった。この盛り上がったという表現を今の何に例えれたらいいのかわからないが。当時プロ野球界がサッカーに対して危機感を覚えいろいろな改革をしたことでもサッカーの盛り上がりが察せられ、楽天イーグルスの誕生や賛否両論のクライマックスシリーズなどに今もみられる。
その盛り上がりを知ってるものとしては今の代表人気にはたんぱくなものを禁じ得ない。ひとつはアジア枠の拡大によりヒリヒリするようなアジアでの戦いがなくなってしまったのも原因がある。ぎりぎりの戦いを経験せずに本大会に出ても何となく盛り上がりに欠ける。やっと辿り着いた感がない。
4年に1回なので選手にはかわいそうだが1回くらいは出場できない事態でもないと予選の弛緩した雰囲気はこのままであろうし、そのまま本大会に出ても予選リーグ突破が永遠の目標になってしまいそうで残念だ。
そうはいってもロシアワールドカップの出場権を逃したオランダみたいにはなりたくないのが本音なのだが。
Kiyo
最新記事 by Kiyo (全て見る)
- ヒタスタイルコラム再録 71 2020年1月号掲載「御節料理と親戚」 - 2024年6月27日
- サントリー角瓶 復刻版入荷! - 2024年6月23日
- ヒタスタイルコラム再録 70 2019年12月号掲載 「年賀状」 - 2024年6月22日
- 山崎 Story of the Distillery 2024 EDITION 入荷! - 2024年6月21日
- 瑛人君 ライブ決定! - 2024年3月15日