ヒタスタイルコラム再録 54 2018年8月号掲載 修学旅行
最近の学校行事は季節が色々変わっていて、運動会を秋ではなく春先に行うことが多くなってるそうですが、修学旅行も季節を問わず行われているようです。
さてその修学旅行、昭和50年台は日田市立の全中学同じ行程での奈良、京都の古都を巡りから、宝塚歌劇団まで鑑賞しようと言う壮大な旅。
と同時に14歳の中二病真っ盛りにしては少々おじさん趣味な行程。
今のようにテーマパークに行ったりとかスキーをやったりとかでは無い、まだ学習の延長線上にある、修学の旅行とい言う建前があった旅行。
中学生の旅行でネズミの国や映画の国に行くという建前もなし崩しのレジャー旅行になるよりは、こう言う建前のある時代も良かったような気がする。
その昭和の修学旅行。
全中学同じ行程といっても日田市全部の中学が一気に同じ日にちで行くわけではなく中学をいくつかのグループに分けての日程だった。
我々南部中学は北部中学と戸山中学と同じグループだったように記憶してる。
ちょうど南中と北中の生徒の数はほぼ同じでこういうグループになったんだろう、他は東中とその他、三隈中とその他だったように思う。
このグループ分けが我々南中の元気の良いメンバーに火をつける。
14歳の元気の良さは、争いをも厭わない。
規模が互角だけに北中との元気良さアピールも白熱は必至だ。
それに成長期の14歳。
入学時に買った学生服。
この修学旅行を機に買い替えが派圧倒的に多く、買い替えの際には、長い学ランやら短い学ラン、裏地の刺繍やら、隠しポケットの数、タックの本数やら、ウエストの高さ、裾の細さなど、細部にわたって元気度をアピールした学生服を購入。
旅行前の服装検査をなんとかクリアしいざ、さんらわぁ号へ乗り込む。
しかしそこは先生方のブロックであまり他校の生徒とは遭遇しないうちに一晩かけて関西に上陸。
船やバスに弱かった私は終始ふわふわした感じでお寺巡り、宝塚歌劇団も爆睡鑑賞とコラムに書くようなネタはあんまり思い出さないのだが、今でも鮮明に覚えてるのは京都で普通の観光客のアメリカ人にサインを貰って大喜びしてバスに戻って来た友達。
かなりのテンションでミミズが張ったようなサインをみんなに見せびらかしていた。
まだこの街で外国人を見ることが滅多にない戦後まだ30数年後のお話だ。
Kiyo
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