ヒタスタイルコラム再録 10 パッチン
ヒタスタイルコラム再録 10 パッチン 2014年12月号
戦場はストリート、行き交う車ももろともせず男達の戦いは続く。丸や四角、道路に埋まってるマンホールが決戦のリング。
数人の腕に覚えのある男達がそのリングを囲み、マンホールを見下ろす。
主戦場の街を越え、校区をも越えて挑戦者はやってくる。
男達の腕には数々の修羅場を共にくぐってきた相棒と、たくさんの戦利品。
なかには米袋一杯の戦利品を引っさげてるツワモノもいた。
「パッチン」その名のとうり厚い絵の描かれた丸い紙を地面にパチンと叩きつける戦い。戦いの名前も、この相棒の名前も「パッチン」共通語で「メンコ」と呼ばれてるのを知るのはまだずっと後の事。
ルールも校区などで微妙に違ったが基本的には、相手をリングから出すか、ひっくり返すことで相手のパッチンをいただける。そして強い奴はどんどんコレクションが増えていく、不思議なもので個人で強いのもいるのだが、強いパッチンというのもいてコレがなかなか取られない。これまた不思議なもので豊富にパッチンを買って貰える裕福な子は概ね弱く、ハングリーな子ほど1枚の強力な相棒と共に戦利品を増やしていった。
パッチンにも工夫し、オフェンスの為に端を少し織り込んだり、ディフェンスには表面にロウを塗ったりした。中にはテベという反則の使い手もいた。
ぼくらの地域は無差別級、大きなパッチンも小さなパッチンも同じリングに上がる、小さなパッチンで大きな獲物を仕留めた時の快感はたまらなかった。
そしてもうひとつぼくらの地域の最大の特徴は「銀天街」という全天候型ドームを完備し雨の日でも、台風で休校になった日でも、戦いが行われていたこと。缶蹴りや、やわボール野球ができなくてもパッチンはできた。
今は銀天街もなくなってしまったが、マンホールを見るとあのパッチンを思い切り叩きつけたくなる、今度やってみよう、50肩を痛めない程度に。
ヒタスタイルコラム再録 2 昭和のノスタルジー ザベスト10
テレビの中の昭和は輝いてた ヒタスタイルコラム 2014年4月号
「ザ・ベストテン」が始まったのは小学校高学年の時。
土曜夜8時の「全員集合」ではカトちゃんのお色気ギャグに顔をしかめていた母親や婆ちゃんも木曜夜9時の ベストテンでは、たまにランクインする演歌勢の歌を口ずさんだり、沢田研二を見ては「この人昔GSのタイガースやったつばい」とか「あらっ益々お父さんに似てきたね~」と3曲同時ベストテン入りした寺尾聰に何故か親類目線を送ったりしてた。
しかし キヨシローとキョージュがキスした時は、カトちゃんお色気ギャグと同じリアクションだったりした。
弟と一緒にカセットデッキを茶の間に持ち込み、私語・台所仕事禁止を家族に申し渡して、録音を試みるも久米宏のしゃべりすぎや、酔っ払っての父親帰還などで邪魔が入りうまく録音できなかったり………
そんなこんなありながらも、家族で楽しんで観てた。
あれから四半世紀が過ぎた。
今のヒットチャートはどうなんだろう。
家族が1時間楽しく過ごせるコンテンツが揃った番組はテレビに中にあるのかな?