ヒタスタイルコラム再録 31 夏のオリンピック
日田スタイルコラム再録 31 夏のオリンピック2016年9月号掲載 今年の夏は暑かった。熱かった。 夏休みは熱い高校野球をブラスバンドの演奏が耳に残るくらい鑑賞するのがお決まり。 しかも今年は四年に一度のオリンピックの年…
ヒタスタイルコラム再録 30 夏休み
ヒタスタイルコラム再録 30 夏休み 2016年8月号掲載 聞くところによると近年市内の小中学校の夏休みは1週間短くなり8月25日位が始業式らしい。もう高校野球が終わったらすぐ学校じゃないですか、宿題終わらないじゃないで…
ヒタスタイルコラム再録 29 祇園
ヒタスタイルコラム再録 29 祇園 2016年7月号掲載
毎年 7月は祇園祭りをテーマに書かせてもらってる。
今年で3回目となるとさすがに懐かしネタも少なくなってくる。 そんな中、町内の役割決めの会があった。
毎年の事なので大きな役割の変化はないが、確実に皆さんひとつ歳をとっている、この先考えると不安が横切る。いや既に不安が的中している役割がある。
「神輿係」小学生が引張って練り歩く御神輿をコントロールする役割で通常は小学生のお子さんが居る者がつく事になってる。が既に小学生が居ないので誰かしらが役割を担う。
祇園山鉾の花形、棒鼻も人手不足になりつつあり各町内の若手の会が中心になって町内在住者以外にも広く参加を求めている。そして神輿や、山鉾の綱を引っ張る小学生、中学生でも大歓迎だ。
親が全く祇園出てなくても良い、我々の町内以外でもそうだと思う、もうドメスティックでは続かない、以前に比べ参加のドアは大きく開いている。
夏休みが始まったばかりの高揚感、大人の世界を垣間見る好奇心や、2日に渡って慣れない法被を着て草鞋履いて歩き回る疲労感、夏に初めのギラギラと照りつける太陽の痛みや、水が撒かれたアスファルトの匂い、少しサボって仲間と食べた駄菓子屋の人生最高のカキ氷の味、調子に乗りすぎて普段は優しい近所のおじさんに怒られた時の感情 いろんな事があの笛の音を聞くと今も鮮明に思い出す。
そんなかけがえのない瞬間を体験できる地元のお祭りにお子さんを参加させませんか? お知り合いの祇園関係者にお声をかけて頂ければ、思ったよりも優しく迎え入れてくれるでしょう。
素晴らしい夏の体験を是非祇園で!
ヒタスタイルコラム再録 28 傘
ヒタスタイルコラム再録 28 傘 2016年6月号掲載
都会では自殺する若者が増えてきた氷の世界では君に会いに行けない理由が、傘がないことだった。
近ごろ、特に安価なビニール傘が登場してからは傘のデフレ状態で、どこにでもあるし邪魔にもなる。テレビが寒さで画期的な色になるような部屋にも2.3本の傘は転がってるだろう。
梅雨どきになると昭和の小学生は朝雨が降ってよういまいが、傘を持たされた。 ちゃんと登下校時に雨が降れば良いのだが、帰りに晴れようものならそれは恰好の遊び道具になる。
少し前に終わった観光祭の指揮者やバトンのマネならいい方。
ゴルフクラブやバットの代わりにやわボールを打つ。竹刀の代わりに勝負を挑む。
変わりダネはフェンシングの剣、なぜか闘いながら傘を広げてディフェンスするという小学生特有のマイルールを開発し、最後にはお互いが傘を広げながら闘うという新しい競技にまで発展させる。
雨で水かさが増えた小川では笹舟競争をする、傘で波を起こし自分の船に勢いをつけるも波に揉まれ沈没したり逆に相手の船に勢いをつけてしまったり、まさに人生。
そう我々川の子は、人生は紙飛行機ではなく小川を流れる笹舟だと学んでいく。 遊び疲れた帰り道では前を歩く友達のランドセルに傘の柄を引っ掛け引っ張ってもらう、それでも疲れてくるともう道に傘の先っぽをつけ引きずりながら家に着く、ボロボロになった傘を見て親に怒られる「モノを大切にしなさい!」
そろそろ、一生使えるような傘を一本持つのもいいのかもしれない。
ヒタスタイルコラム再録 27 救援物資
ヒタスタイルコラム再録 27 救援物資2016年5月号掲載
花見で浮かれていたらもう五月でゴールデンウィークがやって来た。
桜に見送られ、夢と希望を胸に抱き都会に出て行った18の春。
刺激的な都会生活や一人暮らし、自炊や洗濯をして初めてわかる親のありがたさ。
それでも四月は楽しくも忙しい毎日がすぎていく。
そのうち東京のスーパーマーケットにはうまかっちゃんや、おにぎりせんべい、チャンポン麺等当たり前のように日田では売ってあったモノがない事に気付く。
貧乏学生の味方ラーメン屋では麺が縮れてたり、うどん屋では出汁が真っ黒だし、焼きそばはなんだか別物だし。。。 五月の声をきき、生活に慣れるとそういった事が故郷への寂しさにつながって最初のホームシックがやって来る。
なんでも病名を付けるのはどうかとも思うが、いわゆる五月病に近いものかもしれない。 そんなタイミングを見計らってか、親もまた子供いない寂しさかダンボールが送られて来る、救援物資だ。
中身はお米を中心とした食料品、箱を開けると微かに実家の香りがするような気がした。
親心だろう別に東京のスーパーマーケットでも買えるようなサンマやサバの缶詰、魚肉ソーセージ、ふりかけなどが中心だが、その中にうまかっちゃんとベビースターラーメンが入ってると格段にテンションが上がった。
たまに変な柄のトレーナーやファンシーなテイッシュカバーなども入っていて子供心を震わせたりもしたが見なかった事にしてた。
救援物資に慣れてくると地方出身の友達同士で物資のトレードなど行ったが、その中でもうまかっちゃんは一番人気で、その事を親に話すと倍くらいのうまかっちゃん入りの物資が送られてきて一気に人気者になった。
そろそろ、この春から離れて暮らすようになった若者にも救援物資を送る時期だ、今年はこのヒタスタイルも物資の中に忍ばせて頂けるとありがたい。
ヒタスタイルコラム再録 26 ベビースターラーメン
ヒタスタイルコラム再録 26 ベビースターラーメン2016年4月号掲載
赤ちゃんの星のラーメン 直訳するとそうなる駄菓子。
昔は星なしの赤ちゃんラーメンだった。
もう何十年も前から現役で、袋のデザインも大きな変化はなく21世紀を迎えた今も販売されている。ここ最近は、基本の味以外にも沢山の味付けが出ているがやっぱり基本の味が最高。
その昔はお湯を注げば汁のあるラーメンに早変わりし子供の身も心もあっためてくれた。しかし、麺が異様に短くラーメンを食べるのにスプーンを使うという矛盾を発生させていた。
名前に星がついた頃から、お湯を注ぐ食べ方がパッケージに表示されなくなった。試しにお湯を注いでみたが、どうも味が薄い。もうあの超短麺が食べれなくなると思うと寂しかった。
なぜお湯を注ぐ食べ方が消えたのか?
それは大人の事情なのか陰謀なのか、謎のまま21世紀を迎えた今日でも真相は闇の中、きっとフリーメイソンが絡んでいるのだろう。
バブルの頃この街から東京に行く時にも持参し、時折送られてくる親からの救援物資にも小さなオレンジの袋は入っていた。
なぜなら東京ではほとんど売られてなかったからだ。
お酒が飲める年になるとコイツはお酒にも合うことが判明、おつまみバージョンのピーナッツ入りも販売されている。
もう50歳にもなろうかというのに 無性に食べてくなる。
便利な事にこの街にもコンビニが増え、欲望から即購入というコンビニ業界の思うツボにハマりつつも買ってしまう。たまに、変わらないパッケージを眺め裏の成分表などを覗く、思いのほか高いカロリーをスルーし欲望を満たす。なんという罪なヤツなんだ。 ベビースターラーメン とアレは大人になったら自然とやめられると思っていたのに。。。
ヒタスタイルコラム再録 25 ぴんちょこ
ヒタスタイルコラム再録 25 ぴんちょこ 2016年3月号掲載
ようやく春の兆しが見えはじめる3月。
今年の冬は暖かいと思いきや大雪が降ったりと寒暖の差が激しい冬で当然のようにインフルエンザも流行した。
今考えると、昔はよくあれでインフルエンザが移らなかったなぁ、いや、移ってたんだろう実際のところ。 今なら完全にアウト、市内全小学校で全面禁止あつかいであろう遊びがあった。
「ピンチョコ」 基本的には二人対戦型ゲーム。
ぱっちんを小型化したような絵柄と形で一円玉くらいの大きさのもの、これを机の端と端に置き、口で「ペッ!」とか「パッ!」とか発声しながら息でピンチョコを飛ばしながらお互い近ずいていく。
接近した後、テクニックを駆使し相手のピンチョコの上に自分のピンチョコを乗せれば勝ち。相手のピンチョコをいただけるというルール。
ローカルルールとしては相手に乗った時に裏表になってないと勝負はつかないってところもあった。
これは相手の上に乗りつつ相手のピンチョコを裏返すという高等テックニックが必要でなかなか勝負がつかなかった。
白熱してくるとお互いの顔が接近しながらの「ペッ!」「パッ!」の応酬になり間違いなくミクロ単位での体液のやりとりがあただろう。
潔癖化が進む今なら親や先生はもちろん子供自身も気持ち悪がる子もいるだろう。もちろん全面禁止扱い間違いなし。
しかしそこは昭和、ゆるくておおらかな時代。休み時間になると対戦者同士はもちろんギャラリーも含め数人で狭い机を取り囲んで白熱の勝負に熱中してた。負けが込んできて手持ちのピンチョコがなくなってしまえば、給食の時に取っておいた、最後の砦牛乳瓶の蓋で勝負を挑む。
しかし大きくて軽い牛乳瓶の蓋は圧倒的に弱かった。
そうなると帰りに駄菓子屋でなけなしのおこずかいで購入するしかない。
売られてる姿は、50枚位を、ちょうど硬貨の50枚入り棒と同じ感じ、ちょっとしたリッチ感を感じられた。
新品は淵にロウが塗ってあり、親指と人差し指で挟んで飛ばし距離で勝負なんてやってみたが「ペッ!」の方が圧倒的に楽しい遊び方だった。
ん!?もしかしてピンチョコ本来の遊び方はそっちだったんじゃなかろうか?
ヒタスタイルコラム再録 24 ハンどん
ヒタスタイルコラム再録 24 ハンドン 2016年2月号掲載
流行の胸キュンシュチエーション「壁ドン」ではない、もちろん大橋巨泉の「倍率ドン」でもないし、「欽ちゃんのどんとやってみよう」の略でもない。
あの頃の土曜日は休みではなくて、半ドンだった。
午前中のみの授業でお昼からはお休み。
お昼に帰ると家でご飯、土曜日の昼ごはんは何故かインスタラーメン「これだ」か「棒ラーメン」、ラーメンじやない時はメザシの干物に白ご飯。
今でもメザシを食べるとあの土曜日のお昼を思い出す時がある。
こうやって書いてみるとなんだか寂しい食事だが、当時は最高に楽しみだった。
給食もまだご飯が出ず、インスタラーメンも初めての味で新鮮だった。
「うまかっちゃん」以前は「これだ」「マルタイ屋台ラーメン」「出前一丁」「棒ラーメン」が4天王だった。
ラーメンを啜りながら、吉本新喜劇を見る、ワイドサタデーを見る、昼間からテレビを見れる幸せ、しかも圧倒的チャンネル権を持つ父親もいない。 お昼を食べ終わるともちろん遊びに行く、小学高学年になるとソロバンや習字に通ったりするのだが、遊び優先で 野球の人数が足りない時は平気でサボったりしてた。
それから夕方まではお腹が空くまで、腹いっぱい遊んだ。
缶蹴りなんかも隠れる範囲を大幅にろげ大規模にやったり、日ごろなかなか行けない校区外や、クワガタ取り、釣り、鉾付きにも出かけた。
親が探しに来るような事もしばしば。
それからの夕食も日曜日のそれとは違って 休みが終わってしまう寂しさも無ければ明日行けれん感も漂わない。
逆にテンションはあがる一方。
だって明日も休みだし、8時になればカトちゃんにも会えるのだから。
大人になり土曜日が休みになった花金の夜よりも、あの頃の半ドンの方が圧倒的にキラキラしていた。
ヒタスタイルコラム再録 23 お正月
ヒタスタイルコラム再録23 お正月2016年1月号掲載
平成28年 新年あけましておめでとうございます。
新年といえば年賀状。ここ最近は出す人も、出す枚数も減って来てるという。
昭和の時代は2学期が終わる頃には、住所をみんなに書いてもらい冬休みにはいるとなんとか元旦に間に合わせようとせっせと書いた。
中には芋版や版画、小学高学年頃に発売されたプリントゴッコを使用するものもいた。
版画やプリントゴッコでも何かしら一言メッセージは書かれていた。
「モチ食べ過ぎるなよ!」「お年玉いくらもらった? 」など小学生らしく他愛の無いものが多い中「世界平和」などとスケールの大きい願いを書いてくる者もいた。
当時の世界は冷戦真っ只中、東vs西 社会主義vs資本主義の二曲対立での緊張感があったが、すっぽりと米の傘に入ってたこの国の子供たちは何処か遠い世界の話で、その平和は永遠に続くものだと思っていた。
そして未来では国の概念もなく地球が一つになり、皆んなが平和で平等な世界が来ると、若干この県の先生方の教えに準じたような 未来を想像していた。
テレビアニメや、SF映画、小学生向けの雑誌なども概ねそんな未来像だった。
世界は一つで敵は宇宙からやって来るものだと決まってた。
それから30年以上の月日が流れた。 もちろん宇宙からの敵もやって来ては無いが、「世界平和」もやって来てない。
やって来ないどころか、ますます遠ざかってさえいるようだ。冷戦時より複雑な対立軸、宗教、民族、貧困、エネルギー、格差。そしてテロ。
今年はオリンピックなどの国際的なイベントもある、新しい年に「世界平和」を祈らずにはいられない。30年以上前の年賀状より切実に、いつか祈らずにそれが日常になるその日まで。
ヒタスタイルコラム再録 22 クリスマス
ヒタスタイルコラム再録22 クリスマス2015年12月号掲載
早いものでもう12月。
12月といえばクリスマス、いろいろあるけどここは強引にクリスマス。
初めてクリスマスなるものを意識したのは 幼稚園くらいか。
靴下を枕元に置いて寝ると、朝その中にプレゼントが入ってる。しかも一緒に欲しいものリスト添付しておくと、かなりの確率でそれがプレゼントされるという夢のようなシステム。
小学生になると、サンタさんいる・いないで一度は友達ともめる。
うちはお菓子屋さんを営んでたせいか、かなりの確率で26日の朝 売れ残ったと思われる赤いフロッキーに金糸、銀糸でデコレートされたお菓子のいっぱい入った長靴が置いてあったので、割と早い段階で薄々いないんじゃないかなぁ〜と思ってた。それでもイル!と力説する同級生を完全には論破できなかった。
ケーキも家族で食べるって習慣が根付きだした頃で、TVでも酔っ払いのカトちゃんが、鼻付きだて眼鏡をズラしながらケーキ片手に家に帰って、由紀さおり演じる奥さんに怒られるコントをやってた。
うちは誰のチョイスか不明だが、アイスケーキでなぜかパッケージがダイヤモンドゲームになていて、それを家族でやるのが定番だった。
80年代に入ってくるとクリスマスの調子にのりっぷりも最高潮。
クリスマスツリーで世界的にも有名なロックフェラーセンターを日本の企業が買うという調子にのりっぷり。
一般の市民もバブルに乗せられ調子にのる。1年前から赤坂プリンスを予約、クリスマスでバカ高い料金設定のフレンチを食し、ティファニーの三連をプレゼントに用意する。それをイブと当日の二回では飽き足らず、イブイブまで予定を入れるツワモノもいた。相当調子に乗ってた。
調子が落ちてきてもクリスマスは続く。
時代も落ち着いてきて、家族や仲間で家パーティが主流だそうだ。
それでもあのキンと冷えた夜は なんともいい。
もう50回近く経験しているクリスマス、
ここ数年 やっぱりサンタクロースはいるんじゃないかと思えてきた。