御節料理と親戚
新年明けましておめでとうございます!
令和初のお正月、皆様いかがお過ごしでしょうか?
令和初とはいえ、我々日本人のお正月の過ごし方にはそうそう大きな変化はないような気がします。
ただ、昭和の頃のお正月と大きく変わった事といえば、
御節料理は買うものになったと言うことではないでしょうか。
あの頃は、年末の忙しい合間を縫って自宅で御節料理を作る家庭の方が圧倒的に多かったようです。
うちも母と祖母が手分けしながら台所でバタバタやってました。
小学生の頃は栗きんとん大好きで作ってるそばからつまみ食い、
よく叱られました。
そんなバタバタの中、
黒豆を煮るという繊細かつ大胆な作業があります。
まだ料理なんかしたことがない小学生の男子でもなんとなく黒豆煮るのは難しい、
シワにならなくプリップリ艶々の黒豆にするのは至難の技、
鉄釘を入れると良いなど、
祖母、母の会話から知識だけは得ます。
そして必ず近所にひとりはいる黒豆煮る名人。
「〇〇さんげの黒豆は味も見た目も良いもんねぇー、〇〇さんに習ってこよう!」
と勇んで聞きに行くも基本的な工程は変わらない、
そこで尚更悩む母。
「おんなじコツしよるっちゃけどねー」 出来上がった黒豆は毎年出来が違う。
シワシワになった時は、「見た目はアレやけど味はいいね」となり、
うまく仕上がった時はドヤ顔で近所にお裾分けとなる。
うちの祖父は寒天が大好きで御節にも緑やピンクの寒天が入って冷蔵庫にも在庫を確保していた。
そんな祖父は御節に飽きてくると、
白ごはんの上に寒天を乗せ、
グチャグチャにかき混ぜお茶をかけて食べるという荒技をくり出していた。
今までそんな食べ方する人は聞いたことがなく、
唯一対抗できるのは森鴎外の饅頭茶漬けだけではないだろうか。
そんな御節料理を食べ、
お屠蘇を楽しんでいると親戚がやってくる。
これは日田だけの習慣なのか、
親戚のことを地域名で呼んでいた。
「三本松が昼から来るばい」
「本庄町は2日に行こうかね」
「玉川は喪中で年賀状がきちょらんね」
「恵良(玖珠)が雪の中来てくれたばい」
「横浜から電話ばい」
こうやって書き起こすと何ながなんだか、
意味不明っぽいですが、
しっかりと脳裏には親戚の顔が浮かぶから不思議なものです。
令和の時代もそんな平和な御正月をずっと迎えられますように。
Kiyo
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