ヒタスタイルコラム再録 67 2019年9月号掲載 「暑い9月と制服」

ヒタスタイルコラム再録 67 2019年9月号掲載 「暑い9月と制服」
制服

暑い9月と制服

日田の暑い夏が過ぎ、9月はもう秋。

そうは言っても実は9月の前半はまだまだ暑い

後半でも下手したら30度超えの日もある我らが日田市。

そんな9月半ばに放生会が行われる

そこが学校の制服衣替えのタイミングだった。

衣替えには移行期間があって

1週間くらいは夏服

冬服どっちでも着てよかった。

いくらまだ暑いとはいえ

一刻も早く学ランを着たいおしゃれさんは

汗をカキカキ学ラン姿でテキ屋が並ぶ大原参道を

期間中幾度も闊歩し

自分より襟が高かかったり

丈が長い学ランはいないかパトロールしていた。

彼らからオシャレとはガマンをする事だと身をもって教えられた。

制服といえば私は小学校から制服。

しかも男子は年中半ズボンという

日田の冬を知らない大人が考えたとしか思えない制服で

6年間過ごした。

冬のドッジボールでは

半ズボンから出た太ももにゴムのドッジボールが当たると

冷たさと衝撃で2倍痛かった。

しかし高学年になると

風邪をひいただの言って許可をもらい

長ズボンを履いて学校に行くものも増えた

流行りの3本線ラインのジャージや

ボブソンのGパンがおしゃれアイテムだった。

そんな制服も観光祭の音楽パレードの出発点である

当時の月隈小学校に日田市の小学生が集まった時には

ひときわ目立ち

かつカッコイイと勝手に思い込み

体操服で参加している他校に対し優越感を持ったのも事実だ。

中学入学時はオーソドックスな学生服で入学するも

2年生の修学旅行前に買い替えの時期がやってくる。

その時には色気も出始めいろんな形の制服を吟味する。

当時の日田の街には

結構選べるほどの数の服屋さんが学生服を扱っていた

いろんなパンフレットも置いてあって持って

帰って眺めるだけでも大人の階段登った気がした。

中学卒業式では第2ボタンを彼女にプレゼントする

大人の階段を登りまくった友達を尻目に

全てのボタンが揃った制服を

高校生のボタンに付け替え高校に入学した。

高校入学時は先生よりも

先輩方の方が目が厳しく

1年生で目立つ制服を着ていると

呼び出しをくらったりする。

呼び出された後は・・・・

ご想像にお任せしますが

次の日からは別の制服での登校と相成ります。

多分先輩としての紳士的な御指導及び

話し合いがなされたのだろう

呼び出された同級生も固く口を閉ざしているので

そうとしか思えない。いや、間違いなくそうだ。

そして制服からの卒業

高校生最後の日にはなんとか第2ボタンも貰い手がついて

小学1年生からの10年間の制服人生の有終の美を飾ることができ

めでたしめでたし。

今回のBGMは「制服」

聖子ちゃんか由貴ちゃんかお好きな方をどうぞ

 

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Kiyo

・九州の盆地大分県日田市でstepscolorを営む。 ・1967年生れ。地元日田高校から埼玉県城西大学へ ・卒業後福岡にて宝石屋、レオタード屋さんを経て2003年帰郷 ・2010年より野外音楽イベント「ボンチサウンドフェノメノン」を企画 ・2013年から地元情報誌「ヒタスタイル」にてコラムを連載 ・2014年から音楽サイトにて記事を執筆 ・2017年「ステップスカラー」オープン ・2019年 地元テレビ局KCVにて「噂のマスターに会いに行く」コーナー担当日田のうまい飲み屋を紹介しています。