ヒタスタイルコラム再録 57 2018年11月号掲載 大相撲中継
昭和の大横綱輪島が亡くなった。
黄金のまわしで北の湖や、貴ノ花と名勝負を繰り広げた名横綱。
その頃の各家庭のテレビ事情は一家に一台が基本。
それもお茶の間の一番いい位置に鎮座していた。
中には家具のようにテレビの上に花瓶なんかを飾っている家庭もあった。
若い方にはテレビの上に花瓶なんか置くスペースがあるのか?とお思いの方もいらっしゃるだろうが、当時のブラウン管テレビは今の薄い長方形とは違い、どちらかと言えばサイコロのような立方体に近かった。
画面も真四角に近い形で決して大きくないその画面の横に、丸いチャンネルがVHF、UHF用の二つ付いていてヴォリュームやオンオフのスイッチも付いていた。
リモコンなんかはもちろん無く、チャンネルを変えるにはヨイショっと腰を上げチャンネルを回す必要があった。
ヴォリューム調整も同じくその都度テレビの前まで行かなければならなかった。
そんなテレビの前には定年退職したお爺ちゃんが鎮座し、相撲の季節になれば二週間夕方の一番漫画を見たい時間にガッツリ大相撲中継を強制的に見させられる羽目になる。
最初の頃は、裏番組の田舎っぺ大将やタイムボカンシリーズが気になって仕方なかった。
大相撲中継はNHKなのでコマーシャル(当時は宣伝って言ってたなぁ)中にチャンネルを変えることもできない。
漫画を諦め渋々大相撲中継を見る。
今と違って当時の横綱大関は最初の一週間はほぼ負けない、北の湖は憎たらしいほど強かった。
それを毎日見てるとだんだん面白くなってくる。
二週目に入ると、関脇増位山や魁傑が大関貴ノ花をやっつけたりする。
希に富士桜や麒麟児、高見山が金星をあげることもあるが輪島、北の湖はなかなか負けない。
木曜日から金曜日になると勝ち越しや、負け越しのかかった一番が増え土俵も熱気が増してくると、すっかり相撲にハマった小学生は急いで家に帰って相撲を爺ちゃんと一緒に見るようになる。
そして迎えた日曜日は家族で千秋楽を楽しむ。
横綱同士の結びの一番で輪島の黄金の左が炸裂して大円団。
テレビが一家に一台でも楽しめる時代が確かにそこにはあった、そしてそのお陰で我慢するということも学んだ。
Kiyo
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