ヒタスタイルコラム再録 52  2018年6月号掲載 西城秀樹

西城秀樹

ヒタスタイルコラム再録 52  2018年6月号掲載 西城秀樹

ヒデキーッ!!

日田スタイルコラム締め切りギリギリに飛び込んで来た訃報。

西城秀樹死去!

ほぼ描き上がってた原稿を保留し、急遽ヒデキへの感謝を伝えなければと筆を取り直しております。

 

昭和42年生まれのワタクシにとってヒデキは初めてのアイドルだった。

やめろッと言われても、パラパーラ、パーラッ、パーラッ。は4年生の時何かの会で初めて人前で歌った歌だ。

長いマフラーを首から下げ、友達と3人くらいで歌と踊りを完コピした。

とはいえ当時は家庭用ビデオもなく、平凡やら明星に振り付けに図解解説が付くのもピンクレディ以降だったので、テレビで見た記憶を頼りに振り付けの練習をしていた。

それでも今の歌手やアイドルより露出が多かったのだろう、振り付けはテレビで十分覚えられていたし、ぶっちゃけ今のダンスに比べれば単純な振り付けだった。

しかしその中でもヒデキのそれはダイナミックでアクションが派手だと言う評価を得ていた。

当時は新御三家として、野口五郎、郷ひろみと共に今の、今の、今の誰だろう?今の誰とも例えられないくらい人気があった。

ちなみに元祖御三家は、橋幸夫、西郷輝彦、舟木一夫、こちらは我々の親世代、こちらの方々はまだ健在なのでヒデキはやっぱり早すぎる。

ヒデキのダイナミックなアクションは歌だけではなく、ドラマやバラエティでも大活躍、ドラマ寺内貫太郎一家では、小林亜星演じる頑固親父との乱闘シーが毎回繰り広げられ、実際にヒデキは骨折してしまったというエピソードも残っている。

芸能人水泳大会ではブーメラン、ブーメラン、ブーメラン、ブーメランな海水パンツでヘソ下のヘアをなびかせ活躍していた。

後にそのヘアの事は彼のヒット曲にちなんギャランドゥと呼ばれるようになった。

諸説あるみたいだが断然ヒデキギャランドゥ元祖説を支持するワタクシ、悲しいくらいお前に夢中。

その後はアイドルの宿命か、自分達が元祖御三家に取って変わったように、たのきんトリオに時代はとって代わられますが、ヒデキとヒロミは結構頑張ってるなぁと思いながら、ワタクシ歌謡曲から卒業していった次第です。

それでもヤングマンの大ヒットは歌謡曲卒業後のワタクシでさえ振り付けを覚えるほどの大ヒットだった。

今夜あたり、リンゴとハチミツ甘ーくとけてるあのカレーを食べながら、永遠のヤングマンに思いを馳せよう

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Kiyo

・九州の盆地大分県日田市でダイニングバーSTEPSを営む。 ・1967年生れ。地元日田高校から埼玉県城西大学へ、卒業後福岡にて宝石屋、レオタード屋さんを経て2003年帰郷。 ・STEPSを営む傍、2010年より野外音楽イベント「ボンチサウンドフェノメノン」を企画運営。 ・2013年から地元情報誌「ヒタスタイル」にてコラムを連載中。 ・2014年から音楽サイトにて記事を執筆。 ・2017年「ステップスカラー」オープン