ヒタスタイルコラム再録 31 夏のオリンピック

ヒタスタイルコラム再録 31 夏のオリンピック
オリンピック

日田スタイルコラム再録 31 夏のオリンピック2016年9月号掲載

今年の夏は暑かった。熱かった。

夏休みは熱い高校野球をブラスバンドの演奏が耳に残るくらい鑑賞するのがお決まり。

しかも今年は四年に一度のオリンピックの年で更に暑く熱くなった。ちなみに福岡の熱男君は暑い夏に熱くなれず失速してしまったようだ。

オリンピックの記憶が始まったのは、コマネチのモントリオールから。10点満点連発で社会現象にもなり今でもコマネチという言葉を知らないものはいないだろう。若干意味が変わってるにしても。

そのモントリオール テロがあったオリンピックとしても記憶に残る。その後のモスクワはボイコット! 今なら考えられないのか? テロにしてもソ連のアフガン侵攻に対するボイコットもあの頃と21世紀の人類は何も変れてないのかもしれない。

次のロサンゼルスからは鮮明に覚えている。

開会式で人が飛んで、カールルイスもトラックやフィールドを飛び越えた。山下は怪我を押しての金メダル、相手のラシュワンも怪我を責めず柔道や山下に対するリスペクトが感じられた。

バルセロナではバスケットボールドリームチーム、14歳の金メダリスト、そして一本背負に心踊らされ、アトランタではサッカーとモハメドアリが奇跡を起こし、シドニーではQちゃんがグラサン投げ捨て金メダル、ヤワラちゃんも初恋の金メダル。

アテネの長嶋不在の野球に涙したものの、安定のヤワラちゃんは谷でも金。

北京ではソフトボールと空気汚染に涙した。ロンドンでは体操と水泳に可能性を見出し、ポールマッカートニーや、ザ・フー、スパイスガールズにジョージマイケル、ペットショップボーイズ、ジェームズボンドとミスタービーン、彼の国の音楽と映画文化にに嫉妬した。

そしてリオも終わり四年後は東京。 果たしでどんな姿で21世紀の地球、日本はこのスポーツの祭典を迎えるのだろうか

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Kiyo

・九州の盆地大分県日田市でstepscolorを営む。 ・1967年生れ。地元日田高校から埼玉県城西大学へ ・卒業後福岡にて宝石屋、レオタード屋さんを経て2003年帰郷 ・2010年より野外音楽イベント「ボンチサウンドフェノメノン」を企画 ・2013年から地元情報誌「ヒタスタイル」にてコラムを連載 ・2014年から音楽サイトにて記事を執筆 ・2017年「ステップスカラー」オープン ・2019年 地元テレビ局KCVにて「噂のマスターに会いに行く」コーナー担当日田のうまい飲み屋を紹介しています。